【自己紹介】僕はただのゆとりの「高学歴クズ」。なんでブログを始めたか?
どーも。平成元年生まれ、ゆとり代表のtomoshiiraです。
世間から「ゆとりゆとり」と言われて育った25歳です。
僕を一言で表すと「高学歴クズ」です。
一応国内では3本の指に入る(と思う)大学に入学。
周りからは「この大学に入ってれば、大企業にも就職できるし、もう人生安泰だね!」なんて言われたこともあった。
自分もなんとなくそんな気はしてた。
しっかりレールの上に乗っていたらね。。。。
そんな僕は、現在新卒でITベンチャーに入社して2年と3カ月。そして7月末に退職します。
何するかって?9月から留学するんだよ(-▽-)
留学する理由はこのブログを見て下さい。
留学する理由はまさにブログ通りなんだが、こんな早く留学するつもりはなかった。
当初の予定では社会人を3年~5年経験してからって考えてた。
でも予定は変わった。社会人生活に耐えられなかったんだわ。毎日朝早く起きて、通勤ラッシュを我慢し、資料作りに営業、マーケティング戦略を考え、夜遅く家に帰る。そんな生活に飽き飽きしたんだよな。
最初はやる気に満ち溢れてたよ。会社では期待の新規事業に配属され、「俺がここの業績伸ばしてやる」って。
でもうちの会社オーナー企業でさ、社長の鶴の一声で直ぐに事業は立ちあがるし、逆に直ぐに事業は亡くなっていく。
僕は「この事業は伸びる!頑張ってくれたまえ!!」って新規事業に抜擢されたのが、たった2年3ヶ月で2回もあった。2つとも初めは期待され、予算もしっかり割り当ててくれたし、稟議も緩くて急きょ展示会の出展も認めてもらった。
ただ、うちの社長は飽きっぽくてね。半年ぐらいで利益が出てないと「こっちの方が儲かるかも?今の事業は時間が掛かりそうだから、この事業を優先的にやってよ」って新しい事業をやらされる。
いつの間にか、2つの事業を片手間で行うように。。もちろん、時間が掛かりそうな事業には予算を割けてもらえない。それでも、何とかしようと思って出来ることは何でもやった。
でも、その半年後ぐらいに新しい事業にも飽きられ、予算を使わせてもらえないようになる。もはや予算って呼べないけどね・・・
そんなこんながあって、まだ事業閉鎖までには至ってないけど、この会社のために働くことに疲れちゃって完全に自分のやる気スウィッチが入んなくなった。
「なんのために働いてるの?」
「てか会社のために一生懸命になるって不毛だわ」
こんな状態が何ヶ月も続いた。「こんなじゃ駄目だ!」って頭では分かってたけど、体が付いてこなかった。
毎朝体がだるくて、会社までの足取りがメッチャ重かった。
そもそも就活の時「やりたいこと」なんて思い浮かばなかった。
「就活って本当にやらなきゃならないのかな?」なんても考えてた。
でも社会がつくったレールの上をみんなが渡ろうとしてたから、「とりあえず俺も・・」って就活した。
そして無理やり自己分析し、軸を見つけて、志望企業を掲げた。
結構企画とか何か作り上げたりすることが好きだったから
「1を100にするんじゃなくて、0を1に」
そんな軸で大企業ではなくベンチャー企業を選んだ。まさに「俺がこの会社を0から1にしてやるぜ!!」そんな思いで入社した。
でもそんなのは戯言だった。
自分が2年チョット働いて得た教訓は
「0を1にする間に、色んな1を100にしなければならないんだ!」
ってこと。
会社で言う「0を1」にするって例えば「新規事業の売り上げを1年で1億にする」といったようなものです。一見素敵な目標に見えても、それを達成するには10万円の商品を1000個売らなければならないタスクがあり、それを達成して初めて「0が1に」なるわけです。
結局「やりたいこと」って具体的なことじゃないと駄目なんだと思う。
「やりたいこと」が「1を100にするんじゃなくて、0を1に」とか言ってたことが今思えばメッチャ未熟だって痛感した。
かといって直ぐに働く上での「やりたいこと」って何も分からなかった。
そこで仕事や将来とは全く関係ない、ただ単に「やりたいこと」を考えてみた。
その一つが留学だった。理由は下記の記事のまんま。
「アメリカってなんでこんな色んなアイデアが生まれて来るんだろう」
そんな好奇心が、アメリカの文化や生活をこの目で確認して、生肌で感じたいという想いを掻き立てた。それが将来に繋がるかなんて分からないけど、今自分が我武者羅に頑張れるのはそれだけだと思った。
ここまで読んで、僕の事を「やっぱりゆとりだな」って思った人もいるだろうし、まさに今の自分は世間が呼ぶ「ゆとり」に当てはまると感じている。
でも、何か我武者羅に頑張りたいという想いはある。でなきゃ、やる気スウィッチが入らない状態に焦りを感じたりしない。
我武者羅に頑張った経験はこれまで2度ある。中学のときと高3~浪人時代だ。
中学時代野球部だった。中学からはじめたから、もちろん小学校からやってた奴らよりビハインドはあった。
でも野球はメッチャ楽しかったし、「絶対レギュラーになって試合で活躍したい」って気持ちがあったから、毎日欠かさず素振りして誰よりも練習した結果、5番レフトが定着し毎試合ヒットが打てる選手までに成長した。
大学受験のときも我武者羅だった。大学までエスカレーターで上がれる中高に通ってたけど内部推薦を蹴って受験。
受験校じゃない、ゆる~い高校だったからもちろん現役は無理だったけど、浪人時代の快進撃が凄かった。
毎日13時間勉強して、全国模試では安定して偏差値70以上でA判定。
結果、日本で3本の指に入る大学に入学することになった。
思い返しても、我武者羅に頑張ってた浪人時代の自分は少し輝いて見える。
少し過去の栄光に浸ってる感あるけど、僕も我武者羅に頑張った経験はあったんです。
で、今思うことは何事も我武者羅にならないと成長できないということ。たった2回だけど、確かに成長している時は我武者羅になってたし、そして楽しんでた。大学4年間、社会人2年、計6年間我武者羅に頑張った経験がなかった。というより、純粋に、そして具体的に「頑張りたい」と思えることが何一つなかった。
そして今、留学という具体的に「頑張りたい」と思えることが出来た。
自分は決して強い人間ではない。
この想いや考えがブレることだってたぶんある。
ブレを修正するには、いつまでもこの想いを見返すことが一番いいのではないか?
だからこのブログを始めた。
こんなゆとりの「高学歴クズ」でも頑張れることだってできるってことを証明したい。
「俺はゆとりじゃない、ゆとりは時代が生んだ象徴だ」
てね。
このブログにはそんな想いがこもっています。
同じ世代で、僕と同じように人生に悩んでいる人、「俺このままでいいのか?」って思っている人の励みや糧になって頂ければ。。
また、これまで「これだからはゆとりは・・」って思ったことがある人には、「ゆとり世代やるじゃん!」って思って頂けるようなものになればいいと思っています。
これからよろしくです^^